Categorized: 中世

ハイヒールと中世と糞の話

yoshida

ハイヒールと「道の糞」起源説

 いつからか、どこからか、インターネッツの世界ではハイヒールの起源について一つの言説が広まっているように見えます。端的に言えば、以下の様なものです。

中世ヨーロッパでは溜たまった糞尿を窓から投げ捨てていたため、道に落ちた糞便を踏まないようにするためにハイヒールが生み出された。

 あちこちで見かける言説なので、目にした方も多いかと思われます。さてそんな言説でありますが、皆々様はどう思われたでしょうか?

 個々の要素は尤もらしくも見えますが、リテラシーの高い皆様から見てみますと、なんと言いますか、こう、文字と文字の間から与太話の匂いが漂ってきませんか? この手の言説は、お堅い歴史というよりは豆知識とかファッションとかそういう文脈で語られることが多く、そういう場でソースや参考文献が示されることもまずありません。

 とは言え一方で、まとまった説明も世間には無いようですので、本稿ではハイヒールと欧州について語ってみたいと思います。
 ちなみに、いざ書いてみると意外と長くなってしまいました。ご了承下さい。

第一部:ハイヒールと道の糞

結論

 面倒くさいので結論から語ってしまいましょう。

Q1:中世ヨーロッパでは溜たまった糞尿を窓から投げ捨てていたか
A1:事実。ただし多少の補足は必要

Q2:その道の糞を踏まないようにハイヒールが生み出されたか
A2:底の厚い靴は存在した。ただし降ってきた糞便対策が主用途というわけではない。

Q3:その厚底靴がハイヒールの起源になったか
A3:今日のハイヒールとの直接の関係はない

Q3.5:では今日のハイヒールの起源は何か
A3.5:諸説あるが、少なくとも糞ではない

 要するにハイヒールの起源と糞はほぼ関係ないということになります。以下では、上述の3つの論点についてそれぞれ解説していこうかと思います。

第一章:前提としてのヨーロッパの道

道の糞と窓から糞

 巷で言われる通り、中世ヨーロッパの都市世界において、道というのはお世辞にも整ったものではありませんでした。「窓から糞」が人目を引くので埋もれがちですが、それだけではありません。そもそも道がしっかり舗装されていることは稀で、雨が降ればあっという間にぬかるみ、端に目をやればほうぼうには草が生い茂っています。そんな道を豚や羊などの家畜が歩きまわり、またその家畜の糞が道に還るといった有様です。

 例えば当時に描かれた絵画を見てみましても、舗装されていない都市の図は数多く見受けられます。

Ambrogio Lorenzetti, Effects of Good Government in the City (Fresco, 1338-1340)

弊ブログでも紹介した「善政の効果」(14世紀イタリア)。足元には土色の大地が広がる。
Ambrogio Lorenzetti, Effects of Good Government in the City (Fresco, 1338-1340)

BnF Ms. Latin 962, fol. 264

14~15世紀、サンス(フランス)。市場を祝福する大司教という構図(確か)だが、草をはむ羊達という牧歌的な様子も。
BnF Ms. Latin 962, fol. 264

 Gilles de Rome, Livre du gouvernement des princes, France, début du XVIe siècle Paris, Arsenal, manuscrit 5062, fol. 149v.

理想化された都市の描画(16世紀)。この頃になると流石に舗装もされているが、理想化されたが故の描写かもしれない。
Gilles de Rome, Livre du gouvernement des princes, France, début du XVIe siècle Paris, Arsenal, manuscrit 5062, fol. 149v.

 で、「窓から糞」です。
 ローマ時代からこの手の行為はあったと言いますが、中世の記録だと、13世紀のフランス王ルイ九世が夜明け前に教会に向かう途上、都市に住む学生が窓から捨てた汚水をかぶってしまったという逸話が残っています。※1

 慣習として整備されてくるのはちょっと後の14世紀頃からのようです。中世末のイタリアの詩人レオナルド・ブルーニは、不潔な都市を誹る描写として「夜のうちに出た汚物を、朝になるとそのままそっくり他人の目の前に投げ捨て、それを道路に放置したまま、足で踏まれるに任すのである」と語っています。不潔であるという認識はあったにせよ、このようなことが行われていたのは確かでしょう。やはりイタリアの都市アレッツォでは窓からの投棄に関しても細々と法が定められています。窓から糞を投げ捨てることは罰金対象だったようですが、逆に言えばそういう事が行われていたからこそ取り締まりの対象になったとも言えます。

 イングランドやドイツなどの他の地域でも同じような法律は確認されており、法で規制する当局と、必ずしも守らない住民というのが当時の都市の姿と言って良さそうです。

いわゆる「おまる」を空にする図。作者不詳

いわゆる「おまる」を空にする図。作者不詳

 この辺の事情を総称して「全てを道に」(トゥー・タ・ラ・リュ)なんていう言葉もあるくらい。そんなわけで人々は家庭ごみにしろ汚水にしろ、面倒くさいものは全て道に委ねたのでした。道や下水の整備といった問題は当時の人間も認識はしていたものの、コストと手間や諸権利等の都合から実現はなかなか容易ではなかったのですね。

※1:
ちなみに、この学生は罰せられることなく、逆に「夜間まで勉学に励むとは感心である」として賞賛に預かったとされています。


「道の糞」「窓から糞」への保留

 ただし、注意が必要なのは、この手の話にもやはり地域差、時代差、そして程度の差があるということです。

 例えばイングランドやドイツなどの中世都市の多くでは便所や家々から糞便を引き取る「汲み取り人」が活動しており、当時の資料からは「窓から糞」よりもこの便所やこの汲み取り人の方がより頻繁に言及されている様も伺えます※2。

いわゆる汲み取り人の図。18世紀ロンドン

いわゆる汲み取り人の図。中世当時の図像はなかったので18世紀ロンドンのもので代用

 また「窓から糞」は、その物理的特性から都市の過密化と建物の高層化とに密接に関連していることは自明でしょう。しかしパリやイタリア主要都市のような大都市はともかくとして※3、人口が一万人に達していれば上出来という当時の一般的な都市世界ではまた事情が変わりえます。

 また、上述したように中世の都市では豚などの家畜が闊歩する姿が見受けられましたが、この豚が人の糞を食べてきれいにしてくれるというエコシステム的な側面もありました。つまり、「窓から糞」はあったのは確かだとしても、どの程度の頻度で行われ、それがどの程度の影響を及ぼしていたかは疑問の余地が結構残っているわけです。汲取人が処理するケースと川に捨てるケースと窓から棄てるケースがそれぞれどの程度あったか中々に難しい問題です。例えば英語圏のサイトでは、(中世イングランドに関しては)「窓から糞」などは中世について語られる数多くの都市伝説の一つにすぎないと断言するものもあったりします(流石に言い過ぎだとは思いますが)。

 また、実を言うと、「窓から糞」に関する言及は中世よりも16世紀以降‥つまり近世近代の方が数多く見受けられたりもします。特にパリやロンドンなどの大都市は、近世になると過密化・高層化が進むが一方でインフラの整備は整わずという状況で、道の泥はますます深刻になっていくのでした。この手の都市で衛生状態の悪化が限界に達するのは大体18~19世紀のことで、上の方に掲載した「窓から糞」の版画絵も、中世っぽく見えるかもしれませんが実際には18世紀の作品だったりします。

中世と見せかけて実は18世紀の版画という叙述トリック

中世と見せかけて実は18世紀の版画という叙述トリック

18世紀、不衛生が極まった頃のパリの道。ハイヒールでどうにかなるレベルではない。

18世紀、不衛生が極まった頃のパリの道。ハイヒールでどうにかなるレベルではない。

※2:
汲み取り便所は当然「窓から糞」には含まれません。もっとも、汲みとった糞を汲取人が横着して道に棄てるようなことは割とあったようなので、「窓から糞」ではなくても「道の糞」には含まれうるというややこしい自体も生じ得るのではありますが。

※3:
大雑把に言えば、中世欧州の都市人口は
「パリ >> イタリアの大都市 >> 他」
みたいな感じになっています。アルプス以北に関しては、パリのライバルたるロンドンが、中世末期にようやく5万(千代田区相当)に近づくとか、それくらいのレベルです。


道の糞まとめ

 というわけで長くなってしまいましたが、ハイヒール話の前提となる「道の糞」をまとめると以下の様な感じになります。

  • 中世欧州では糞が窓から捨てられていたよ
  • ただし、どの程度のものであったかは議論の余地があり、与太話として否定する向きもあるよ
  • また、中世もそうであるが近世近代も事情は似たようなものであり、より悪化するケースが多かったよ
  • まぁでも、それはそれとして、糞にかぎらず色々と道が汚かったのは確かだよ

第二章:中世人が履いたもの

パッテンの歴史

 「道から糞」の程度はともかくとしても、当時の欧州の道に問題が多かったのは確かです。そんな環境にあって、中世人は一つの解決策を見出しました。それが、これ。

Portret van Giovanni Arnolfini en zijn vrouw

Portret van Giovanni Arnolfini en zijn vrouw

 デデン。フランドル派の画家ヤン・ファン・エイクの手になる「アルノルフィーニ夫妻像」。イタリア商人夫妻の姿を描いた1434年の作品ですが、当時にあって、その繊細な筆致や巧みな錯視的技法は群を抜いていたと言われています。

 が、絵画の情報はここではどうでもよくて、重要なのは絵画の左下の方に転がっている、なんか便所の下駄みたいなオブジェクトです。拡大してみましょう。ドン。

Portret van Giovanni Arnolfini en zijn vrouw ‥の一部

Portret van Giovanni Arnolfini en zijn vrouw ‥の一部

 はい、これが本稿の主役の一つ。これはパッテン(patten)と呼ばれるオーバーシューズ(靴の上から更に履く靴)の一種で、中世ハイヒール伝説の正体の一つです。

 12世紀から存在が確認されており、特に15世紀頃から一般層にも普及し絵画にも多く描かれるようになります。15世紀はクラコーなど先の尖った靴が流行った時期でもありますので、これとセットで用いられたようです。

中世おなじみのクラコー(kracow)。確かにこのつま先ならパッテンが脱げることも無さそう

中世おなじみのクラコー(kracow)。確かにこのつま先ならパッテンが脱げることも無さそう

 またこのパッテンは基本的に実用本位の靴なので、基本的に男女の別なく用いられていました。近代に入ると男性用厚底ブーツの登場の影響で段々女性用になっていくのですが、ともあれ時代に応じて形状を変えつつも実に20世紀まで用いられ続けていったのです。
そんなパッテンの世界は、やはり語るより見た方が早いでしょう。そんなわけで我が家のパッテンフォルダの一部を皆々様にもご紹介。

1400年代オランダ。初期のものは下駄のような高い「歯」を持つものが多い

1400年代オランダ。初期のものは下駄のような高い「歯」を持つものが多い

15世紀の中期型。時代が経つと、このように比較的平らな「歯」を持つものが増えてくる

15世紀の中期型。時代が経つと、このように比較的平らな「歯」を持つものが増えてくる

祈祷書に描かれているパッテン。雪道でも活躍。中期型。/New York Public Library, Spencer MS 36 (Bruges, 1500-20).

祈祷書に描かれているパッテン。雪道でも活躍。中期型。/New York Public Library, Spencer MS 36 (Bruges, 1500-20).

16世紀の絵画より。絵画に限った場合、屋内での使用例の方が多かったりする。中期型。/ Adoration of the Magi

16世紀の絵画より。絵画に限った場合、屋内での使用例の方が多かったりする。中期型。/ Adoration of the Magi

ニュルンベルクの養老院に残されたパッテン職人の肖像画。これも中期型。 / Amb. 317.2 f106v

ニュルンベルクの養老院に残されたパッテン職人の肖像画。これも中期型。 / Amb. 317.2 f106v

聖ウィギリウス像(15世紀)。きれいな歯。

聖ウィギリウス像(15世紀)。きれいな歯。

我が家のパッテンと中世靴。靴と合わせると二重に履く形になるうえ、重量も割とあるのでけっこう歩きづらい。

我が家のパッテンと中世靴。靴と合わせると二重に履く形になるうえ、重量も割とあるのでけっこう歩きづらい。

パッテン特有の歩きづらさを改善した進化型パッテン。爪先部分が蝶番で繋ぎ止められており、靴底に引っ張られる感が軽減される(と思われる)

パッテン特有の歩きづらさを改善した進化型パッテン。爪先部分が蝶番で繋ぎ止められており、靴底に引っ張られる感が軽減される(と思われる)

15世紀。後になると、木ではなく革を重ねあわせた靴底を持つ後期型のものも。見た目自体はほぼサンダル。

15世紀。後になると、木ではなく革を重ねあわせた靴底を持つ後期型のものも。見た目自体はほぼサンダル。

15世紀。革製のものは、このように靴底に鋲を討って補強したりもした。ますます古代のサンダルめいた様相に。

15世紀。革製のものは、このように靴底に鋲を討って補強したりもした。ますます古代のサンダルめいた様相に。

19世紀のパッテン。近代になると、鉄のリングを取り付けた全く異なるタイプのものが登場する / Museum of Fine Arts, Boston

19世紀のパッテン。近代になると、鉄のリングを取り付けた全く異なるタイプのものが登場する / Museum of Fine Arts, Boston

18世紀英国製。近代になるとパッテンは女性用になっていったため、このようなデザインのものも。/ Victoria and Albert Museum

18世紀英国製。近代になるとパッテンは女性用になっていったため、このようなデザインのものも。/ Victoria and Albert Museum


パッテンの用途は何か

 さてそんなわけでパッテンな世界をご紹介しましたが、そのパッテンの目的は必ずしも自明ではありません。というのも、資料によって言ってることが微妙に異なってるんですね。状況証拠的な憶測も多分に含んでいるのでしょう。そんな断片的な情報をまとめると、パッテンの存在意義は大体以下の様な感じなります。

1:道の泥

 まず当然考えられるのが当時の道でしょう。何度か述べたとおり、都市部であっても舗装は不十分だった中世の道。全体的に泥っぽいし、雨が降れば容易にぬかるみ水たまりができます。そんな中でこのパッテンは雨靴としての役割を期待されたとされています。もちろんそういう「泥」の中には人や家畜の糞便もあり、その中には窓から投げ捨てられたものもあったでしょう。
 大抵のパッテンは接地面積を減らす構造になっており、このことからも泥対策であった事が伺えます。この辺は日本の下駄と同じ理屈です。

2:靴の補強

 そして同様に、或いはそれ以上に当時履かれていた革靴の方にも注意を向ける必要があります。当時の革靴は現代の靴のような厚い靴底も持たず、薄くて頼りないものでした。防水性能も低く、そんな靴にとってぬかるんだ道や雪道は大敵と言えましょう。雪道をサンダルで歩いた経験のある方なら、薄い靴で雪道をゆく心細さが想像できるのではないでしょうか。雪が溶けて水たまりになっている箇所は特に堪えるものです。

3:足の保護

 道の汚れは別にしても、僅かな厚みの靴で中世の荒れた道や石畳の上を歩くのは足にも負担が大きかったことでしょう。また、冬の石床の上に居ると、薄い靴の上から冷たさが伝わってくるという記述もあります。室内で用いている絵画も多く残されていることから、道の泥に限らない様々な足元の苛酷さから足を守るためにパッテンは用いられたようです。

4:靴の保護

 足のみならず、靴自体の保護も用途として考えられます。又聞きではありますが、一般的な中世の靴は安くはない割に3~4ヶ月程度しか持たなかったという説明も存在します。そんなか弱い靴を保護する目的で用いられたという説明も説得力があります。

 また近代に入ると女性のドレスの丈が長くなり裾が足元にまで及ぶようになったため、これを汚れから守るという用途も増えました。

 パッテンの用途をざっと書き下すと上記のようになります。これらを踏まえて、「パッテンは道の糞対策だったか」という問いに立ち返ってみますと、「全くの間違いというわけではないが、優先度的には『ついで』くらい」あたりが妥当な答えではないでしょうか。

 道の糞と言うよりは、道の糞も含めた泥・汚物・ぬかるみ・雪などの劣悪な路面環境全般への対策と見るのが妥当でしょう。例えば「SHOES AND PATTENS」によれば、「防水、泥、雪」が要因とされています。もし「道の糞」なんてピンポイントのオブジェクトが本当に問題なのだったら、わざわざこんな追加パーツを装備しなくても、避けて歩けばいいだけの話でもあります。

 というわけで第二章の内容をまとめますと

  • 中世人はパッテンと呼ばれる靴外靴を使用していた(こともあった)
  • しかしその用途は複合的であり、「道の糞対策のために発明された」とは言えない

 という感じになります。しかし、このパッテンを眺めるだけではハイヒール伝説の正体はまだ見えてきません。次に問うべきは、このパッテンとハイヒールは如何なる関係にあるのか、でしょう。

 尚、「このパッテンとやらも高い靴底を持ってるんだし、ハイヒールに分類して良いのでは」という意見もあるかもしれません。もちろん不可能ではないのですが、歴史的連続性や仕様形態を無視してそのような分類を行った場合、下駄もぽっくりも竹馬も全部ハイヒールということになってしまいます。

第三章:ハイヒールの系譜

 ここらでパッテンのことはいったん忘れて、今度は今日的なハイヒールの起源について調べてみましょう。

 ‥というわけで海外の情報をざっと眺めてみたのですが、どうも幾つかの説が並立しており、これが定説と呼べるものは無さそうな感じです。ともあれ、順番に紹介しましょう。

※注:
本章の内容は、その多くが英語圏のサイトの記述に拠っています。海外の書籍も少しはあるのですが、調査コストの問題であまり参照していません。海外のサイトも正確さという意味では割といい加減なものも多いのですが、ここではそれらをざっと吟味した上で整理した内容をお届けします。まあ、正直この辺の内容は5年も経てば古くなっていそうな匂いがしますので、腐る前にお早めにお召し上がり下さい。


1:カトリーヌ説

 まず最も通俗的な説は、1533年にイタリアから後の仏王アンリ二世の元に嫁いできたカトリーヌ・ド・メディシスがこれを最初に履いたというものです。

カトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)

カトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)

 嫁いだはよいものの、当時十四歳の彼女は背も低く、ルックス的にも特に秀でたところはなかったと言われています。そんな彼女を無視して、夫であるアンリ二世は(彼女よりずっと背の高い)愛人のもとに通い詰めていました。いまいち夫の寵愛を得られない彼女としては、自身の立場を維持するためにも宮廷や国民に対して自己をアピールする必要がありました。で、そのために思いついたのがハイヒールというわけです。このお洒落な靴に身を包んだ彼女の姿は高く評価され、ハイヒールという新たな文化がフランスに花開いたとか。

 涙ぐましい努力ですね。泣けますね。でも多分これ、嘘です。
 実際にはハイヒールが用いられていたという証拠は1580~90年代になって初めて登場しており、1533年前後に生み出され流行ったのであれば50年もの謎の空白が生まれてしまいます。

 それに伝説の主役が「あの」カトリーヌ・ド・メディシスという点がいかにも怪しいものです。※4

※4:
カトリーヌ・ド・メディシスは、「あのあたりの時代にフランスに伝わった大抵のものは彼女に帰せられる」という特殊スキルを持っています。フランス国民としては、自分たちの文化がイギリスやドイツやイスラム圏から伝わったものだという事実には耐えられないが、カトリーヌの故郷たるイタリア由来だったら何とか耐えられる、という事なのでしょう。
例えばフランス・アルザス地方の料理「シュークルート」はドイツのザワークラウトの一種とされるのですが、自国の文化がドイツ起源だと認めたくないフランス人は「中国人がキャベツに塩をふることを始め、タタール人がシュークルートを作り、カトリーヌ・ド・メディシスがもたらした」という遠大な物語を主張しているのだそうです。

「シュークルート」の検索結果

「シュークルート」の検索結果

「ザワークラウト」の検索結果

「ザワークラウト」の検索結果


2:第二の靴、チョピン

 そんなわけでカトリーヌ自体説は怪しいのですが、このような説が語られるにはそれなりの背景があったと思われます。それが、彼女の故郷イタリアで以前から履かれていたサンダル、その名は、チョピン(Chopine)。中世ハイヒール伝説のもう一つの正体です。

1600年頃、ヴェネツィアのチョピン / Victoria and Albert Museum

1600年頃、ヴェネツィアのチョピン / Victoria and Albert Museum

 これはヴェネツィアを中心とするイタリア、及びスペインで用いられていたオーバーシューズで、その起源の一つはトルコの風呂場のサンダルにあると言われています。

18世紀のトルコの女性 / Femme turque avec servante

18世紀のトルコの女性 / Femme turque avec servante

Qabâqibなどと呼ばれるオスマンの風呂用サンダル(19世紀) / Bata Museum of Shoes (Toronto)

Qabâqibなどと呼ばれるオスマンの風呂用サンダル(19世紀) / Bata Museum of Shoes (Toronto)

 初期の一時期を除いて、このチョピンは前述のパッテンとは異なりファッション的な用途で用いられました。これを主に用いたのはイタリアの貴族の女性や高級娼婦。女性用であり、今日に残っているものもその多くに細やかな装飾が施されています。写真を見れば、実用一点張りなパッテンの無骨さとは全く別物であることが伺えるかと思います。実際、ヴェネツィアでは「奢侈禁止令」の一環としてこれが禁止されたりもしています。

16-17世紀イタリアのチョピン / The Metropolitan Museum of Art

16-17世紀イタリアのチョピン / The Metropolitan Museum of Art

こっちはスペインのチョピン / Bada Shoe Museum (Toronto)

こっちはスペインのチョピン / Bada Shoe Museum (Toronto)

 記録に残っているチョピンの中には例えば高さ60cmなんてものもあり、とても実用的とは言えません。実際この手のチョピンを履いて歩くには杖やお付きの者が必須だったようで、そんな感じで実用性を度外視しているがゆえに、却って高いステイタスを誇示するアイテムとして用いられました。もはや道の糞を避けるとかそういう次元の話ではありません。

16世紀イタリア。高さ約50センチ / Museo Palazzo Mocenigo

16世紀イタリア。高さ約50センチ / Museo Palazzo Mocenigo

確認した限りでは一番でかいやつ。/ Bata Shoe Museum (Toronto)

確認した限りでは一番でかいやつ。/ Bata Shoe Museum (Toronto)

 このチョピンは15世紀からイタリアで用いられていましたが、16世紀の終わりごろからフランスなどにも普及していったとされます。勿論厳密な意味では今日的なハイヒールとは別物なのですが、海外の文献でも微妙にハイヒールと混同されることもある罪な奴です。明言こそされないものの、このチョピンからハイヒールが生まれたのではと見る向きも存在します。


3:第三の靴はペルシャから

 さて、カトリーヌやチョピンとは別に、ハイヒールにはもう一つの有力な起源があります。それがライディングブーツ、つまり乗馬靴です。

ペルシャの騎兵 / "Abbas King of Persia" by Thomas Herbert, 1627-1629.

ペルシャの騎兵 / “Abbas King of Persia” by Thomas Herbert, 1627-1629.

17世紀のペルシャの乗馬靴 / Bata Shoe Museum (Toronto)

17世紀のペルシャの乗馬靴 / Bata Shoe Museum (Toronto)

 これは騎乗時に鐙に足を引っ掛けやすいように踵を高く作られた靴で、アジアでは古くから用いられていたと言われます。これまで紹介したパッテンやチョピンは、確かに踵も高く持ち上げられてましたが、むしろ靴全体を持ち上げることにその第一義がありました。それに対してこの乗馬靴は確かに「せり上がった踵」という今日的なハイヒールの特徴を備えています。それ故にこの乗馬靴をファッション化させたものがハイヒールだとする説もあります。

 ではこの乗馬靴はどこから来たかというと、これまた幾つか説があるようです。

  • 靴の(踵の)補修を繰り返しているうちに、偶然に乗馬靴のように踵の高い靴が生まれたよ説
  • 昔から乗馬靴が用いられていたペルシャ経由で伝わったよ説

 当時のペルシャを治めていたサファヴィー朝のアッバース一世は、オスマン帝国への対処の必要性から西欧諸国との連携を模索するようになります。で、そうなるとペルシャから使節が各地に派遣されることになりますが、この使節がペルシャ風の乗馬靴を履いており、これが欧州人の注目を浴び、流行したというものです。


ハイヒール起源まとめ

 なんだか参考資料によって言ってることがてんでバラバラですが、これまでの説をまとめると、大体5つくらいのシナリオが浮かび上がります。

  • Aルート:カトリーヌが無から、あるいはチョピンや乗馬靴を参考にハイヒールを発明したよ
  • Bルート:16世紀末あたりにペルシャから騎乗用の厚底靴が伝わり、これがファッション化しハイヒールになったよ
  • Cルート:16世紀のいつごろか、靴の修理の過程か何かで踵の厚い靴が生まれ、騎乗用厚底靴を経てファッション化したハイヒールが生まれたよ
  • Dルート:イタリア経由で広まったチョピンを下地に、16世紀末ごろから何となくハイヒールが生まれたよ
  • Eルート:その他だよ
すべての道はヒールに通ず

すべての道はヒールに通ず

 個人的にはBかDあたりじゃないかなあと考えていますが、断定するには全く証拠が足りていないというのが正直なところでしょう。


 しかし、厳密なハイヒールの起源はわからなくとも、少なくともこれまでの議論から2つのことが言えると思います。
つまり、

  • その1: ハイヒールの起源にパッテンは(少なくとも直接は)関わっていない
  • その2: ハイヒールの起源に道の糞は関わっていない

 本章をご覧になった方ならわかると思いますが、ハイヒールの起源を巡る説の中には、パッテンも道の糞もびっくりするほど登場しません。カトリーヌ、チョピン、乗馬靴のいずれの説をとるにせよパッテンは絡んできませんし、そして今日的なハイヒールは本質的なファッションな存在なのでその起源が道の糞と絡む要素はないわけです。

 勿論、ファッション目的で生み出されたハイヒールが後に道の糞対策に転用されたという可能性もありますが、その辺を主張する海外の資料は今のところ見つかっていません(もっと探せば見つかるかもしれませんが)。逆に、「ハイヒールは泥だらけの欧州の道には大変不便であり、それゆえに貴人のステイタスを示すアイテムとして機能した」とする言説ならありました。

結論

 これまでのお話をまとめますと

  • 中世の道は汚く、よくぬかるんだりした
  • そんな泥の中には窓から棄てられた汚物やそれが雨で泥になった物も含まれた
  • それらの泥や防水対策、靴の保護などの目的のために中世人は靴の上から「パッテン」を着用することもあった
  • それとは別に、イタリアでは14世紀頃から「チョピン」という婦人用厚底サンダルがステイタスの誇示を目的として用いられた
  • それとは別に、ペルシャを経由してかしないでか、16世紀頃から騎兵用の踵が高い靴が欧州に現れた
  • 恐らくチョピンあるいは騎兵靴あたりの影響を受けて、近世(16C世紀末)にハイヒールがファッション・ステイタスを目的として生み出された

となります。

 というわけで随分と遠回りをしてしまいましたが、「ハイヒールは中世欧州の道の糞対策として生まれた」というハイヒール伝説は事実ではない、いうのが本章の結論となります。

第二部:ハイヒール起源説の起源

 さて、ここから先は余談です。

 風説の検証に随分と手間をかけてしまったので、手間をかけたついでに「日本におけるハイヒール『道の糞』起源説」はどこから来たのかについても軽く調べてみることにしました。要するにこんな面倒をかけさせやがったのは一体誰やねんという話です。さて、皆々様、石を投げる準備はできましたか? それでは参りましょう。

※今回の調査は主にgoogle先生の力(web検索およびbook検索)に頼っています。google先生の精度が本調査の限界である点はご留意下さい。

 ではまず、ハイヒールの起源について触れた書籍を、古い順に幾つか紹介していきましょう。

第一章:書籍の中のハイヒール起源説


大塚製靴百年史 (大塚製靴株式会社/1976)

書影はヤフオクより

書影はヤフオクより

 まず、調査した限りで、この辺の事情に最初に言及したのは1976年の「大塚製靴百年史」。そのうちの京都大学霊長類研究所長 近藤四郎の寄稿による「足と靴の機能」の一節です。553ページを一部抜粋。

洋靴の歴史の中で見落とせないのは、ヒールの誕生、ハイヒールの歴史であろう。現用の踝部だけを高くするヒールは、十六世紀にヨーロッパにおいて誕生した。その理由としてはいろいろいわれているが、中世のヨーロッパにおいては便所がほとんどなかったために汚物が都会の道路にも流れていて、それを避けるためとか、底革のいたむことを防ぐ、乗馬靴に拍車をつけやすくするためなどの説が理由として考えられよう。背丈を高く見せるために、ヒールが考案されたということは、ほとんど考えられない。
(中略)
ルネッサンス時代になってチョピンと呼ばれるハイヒールが復活する。これは次項に示したように当時の夫人のドレスが末広がりで背丈が低く見えることを恐れて考案されたもので、軽い木でできていたという。もちろんコトルノス、チョピンともに現用の踝部だけを高くするハイヒールの祖型として考えられるが、歩くための”はきもの”ではなかったことに注意したい。

 「道の糞対策」「革靴保護」「乗馬用」「チョピン」などこれまで述べてきた要素が既にこの時点で登場していることがわかります。

 しかし、本稿のまとめと照らせば、前者二つ「道の糞」「革靴保護」はハイヒールではなくパッテンの用途であり、最後の「乗馬用」はハイヒールの由来候補のうちの一つでした。この辺の書きぶりから察するに、パッテンに関する情報が曖昧なままハイヒールと結び付けられていた可能性が考えられます。

 今日の主張に繋がる「道の糞説」も既にこの時点で挙げられているものの、あくまで可能性の一つとして言及されている点が印象的です。40年前の環境では中近世の混沌とした足事情を俯瞰し整理するのは困難だったと思われますが、それゆえに断定を避けているのは学者として誠実な態度と言えましょう。


図書 (岩波書店/1979)

book02
 次に見つかったのは岩波書店の雑誌「図書」。1979年。

‥が、残念ながら国会図書館でもamazonでも該当する号を見つけられなかったので、ここではgoogle booksの断片的なキャッシュ情報だけを抜粋するにとどめます。以下の様な感じになります。

現用のハイヒールのかたち、つまり爪先部よりもヒールだけが髙い型は、十六世紀末にヨー口ッパで誕生した。その理由としては、中世の道路が汚物でよごれていたからとか、乗馬靴に拍車をつけるためにヒールをつけたことにならったとか、いろいろのことがいわれ‥

 書かれている内容は、上で挙げた「大塚製靴百年史」のほぼ受け売りですね(勿論、更に共通のの元ネタがある可能性は当然考えられますが)。
 ただ、「大塚製靴百年史」が挙げていた「革靴保護」の理由がここでは除去されている点は注目すべきでしょう。伝統的に、「道の糞対策」と異なり革靴保護機能はあまり日本人の注目を惹かない傾向があるようです。


ハイヒールと糞尿―個性的街づくり(中島 源太郎/1985)

book03

 今度は都市に関する様々なコラムを収めた一冊。実にストレートなタイトルです。該当箇所は38-39ページ。

今はファッショナブルな婦人のハイヒールが、もとはといえば「汚物除け」だったことをご存知だろうか。その昔、中世ヨーロッパの都市は塵芥と汚物にあふれたまことに不潔きわまるものだった。道路は、窓から捨てられる排泄物や、垂れ流しの排水とで悪習を放つ泥沼の様相を呈していた。
(中略)
したがって靴は高くて重くて、底の厚いものでなければならなかった。特に、着飾った貴婦人が馬車から居りて屋敷に入るときにドレスの裾を汚さぬようにと考案されたのが、ぽっくりのような形をした、現在のハイヒールの原型だったというわけだ。

 ここでは、やはりパッテンの汚物避け要素がハイヒールの起源として語られています。後段の内容は、「貴婦人」「ぽっくり」の単語から察するに、チョピンの事を指しているようです。このように、パッテンとチョピン、ハイヒールが滑らかに結び付けられているのがこの手の言説の特徴です。


舶来事物起原事典(富田 仁/1987)

 次は、文字通り海外から伝わった物事の起源を扱った辞典。ハイヒールを扱っているのは284-285ページ。

西欧では、14世紀にクロッグと称する靴の下に下駄のようなものをつけ、靴底の痛みを防止したり、泥や埃に汚されないようにする目的で、ハイヒールがつくられたという。また、ルネサンスの時代には、上流階級の女性たちはチョピンと呼ばれた木製の下駄のようなものをつけた靴を履いたともいう。
(中略)
ハイヒールの起源をたどるとき、このように三つのルーツが認められるのであるが、現在のハイヒールは、16~17世紀の頃、アンリ2世の妃カトリーヌ・ド・メディシスが高いヒールのスリッパを履いて皇后の威厳を示そうとしたことに端を発しているといわれる。

 こちらは、パッテンとチョピンに触れつつも、無理矢理に一本の線に結びつけるのではなく、複数説併記の立場を堅持しています。


やんごとなき姫君たちのトイレ(桐生 操/1992)

book04

 最後は古今の下世話な話を専門とする著者による一冊。二箇所でハイヒールに関する言及があります。

43P(角川文庫版)より

いわゆるハイヒールが作られたのは一七世紀初めだが、じつはこれも、この種の必要に迫られて生まれたものだ。汚物のぬかるみでドレスの裾を汚さないため考え出された、苦肉の策だ。当時のハイヒールはかかとだけでなく、爪先のほうも高くなっていて、いわば靴に下駄を取りつけたような恰好だった。中には六〇センチもの高さのヒールがあったという。いったいどうやル資歩いたのだろう。

154P(角川文庫版)より

女性がハイヒールをはいたり、コルセットでからだを締めつけるようになったのは、一七〜一八世紀初めのことだ。ハイヒールの発祥は一五世紀のヴェネツィアだが、広く用いられるようになったのは、ロココ時代のフランスでのことである。

 一冊の本の中で、ある箇所ではハイヒールは17世紀に生まれたと語っているかと思えば別の箇所では15世紀ヴェネツィア起源と語ったりと、随分と混乱している様子が伺えます。まあ、多分それぞれ異なる文献から引っ張ってきたんでしょうけど。

傾向と対策

 さて、こんな感じで先人の著作を眺めていますと、幾つかの傾向が認められることがわかります。


パッテン、チョピン、ハイヒールの各概念の混同

 先人の各著作で述べられている内容は、確かにパッテンを指していたりチョピンの事を語っていたりするのですが、それらがどういう関係にあったか、という点で著しくごっちゃになっている傾向があります。

 特に、パッテンはその特徴がハイヒールと結び付けられる事があるにも関わらず、ハイヒールとは別個の概念としてのパッテン自体に言及した資料は、探した限りでは存在しませんでした。


ハイヒールの起源に関する混乱

 例えば「大塚製靴百年史」でもハイヒールは上背目的ではないとしながらも、上背を目的としたチョピンをその祖型であると述べており、それぞれの関係はあやふやになっています。

 「やんごとなき姫君たちのトイレ」でも、ハイヒールが生まれた時期の記述が箇所によって食い違っていたりと、よくよく見ると一冊の本の中に微妙に矛盾が潜んでいたり曖昧さが佇んでいることが多々あります。

 この混乱は、幾らかはハイヒールの起源説自体が諸説ある状況に由来するものかと思われます。海の向こうの本家ですら諸説紛々な状況なので、日本での説明が混乱するのも無理からぬ事と言えるかもしれません。並立する諸説に加え、中世に関する乏しく断片的な情報が加わった結果、ご覧の有様になったのでしょう。

 ただ、「大塚製靴百年史」や「舶来事物起源辞典」など学者先生が記した書物では諸説あることや定説がない事もきちんと断られているのですが、俗な本になるとその辺の情報が抜け落ちて、断定的な描写がされるようになっている点は見逃すべきではないでしょう。

ネットの中のハイヒール伝説

 書籍時代のハイヒール話を幾つか探してみましたが、ハイヒール伝説のが一般層にどう広まったかは未だ不透明です。そこで次は、やはりgoogle先生の力をお借りして、インターネッツの上でのハイヒール伝説を探してみましょう。


 まずはネット上での初出に関してですが、これは割と簡単に見つかりまして、1999年4月5日に放送された伊集院光のラジオ「深夜の馬鹿力」のコーナーの一つ「豆知識予備校」の書き起こし記事。中身は以下の様な感じです。

おしゃれな淑女の必須アイテム、ハイヒールに日傘。そもそもの始まりはヨーロッパの生活習慣に由来する。中世ヨーロッパでは溜たまった糞尿を窓から投げ捨てていたためぶつからないように日傘、踏まないようにハイヒールが必要だった。

(from http://shepherd.gozaru.jp/baka/mame/mame4.html)

 google先生を信じる限り、これがネットにおけるハイヒール伝説の最初の言及です。 内容的には「道の糞」説そのものですが、日傘の情報も加わっている点が趣深いです。

 それからしばらくの間は、ネット上で見られる言説は件のラジオの内容かその孫引きが多くを占めています。


ネット上の話題の推移

 さて、その後の展開はどんな感じでしょうか。ハイヒール起源説がどの程度話題になっているかを知るため、一年ごとに期間を区切って「中世 ハイヒール」で検索し、検索結果のうちハイヒール道の糞起源説に新たに触れたサイトの件数を調べてみました。勿論、全てのサイトをクロールできているわけではないので歯抜け前提ですし、正確な叙述をしている限りハイヒールの起源は「中世」ではないのですが、ウェブ界隈の傾向を掴むことくらいはできるでしょう。というわけで各年に更新された記事の数をグラフ化してみました。

※注:
各年にプロットされているデータは、「その年に」新たにハイヒール伝説に触れた記事の数であり、これまでの記事数の累計ではありません

 で、その結果がこちら。

インターネッツハイヒール伝説

インターネッツハイヒール伝説

 こうして見ると、意外と件数の絶対数が少ないですね。とはいえ、最近になるほど件数が増えていることもわかります。

 もちろん、「消失したサイトは反映されていない」、「ネット上の総情報量自体、加速度的に増えている(はず)」などのバイアスには留意すべきです。しかしそれを考慮しても、基本的にハイヒール伝説に関する話題はここ最近じわじわと活発になりつつあることが伺えます。

 ちなみに、これらのネット上での言及は、九分九厘「道の糞説」です。革靴の保護やヴェネツィアの高級娼婦が云々などに触れたサイトはほぼ皆無。騎乗靴説だけは比較的多く、2、3件ほど見つかったという具合です。


インターネッツの震源地

 あともう一つ、検索結果を個別に眺めていると、ある時期を境に存在感を増しているサイトがあることにも気が付きます。つまり、検索結果の上位に君臨し続けていたり、検索ヒット数の増加に影響していたりと、この話題の普及に貢献していると思しきサイトがちらほら見つかるのです。

 具体的にいうと、こちら。

ドン。

みんなだいすき

みんなだいすき

デン。

たよれるおとこ

たよれるおとこ

ドドン。

ぼくらのみかた

ぼくらのみかた

 正直、ちょっと、この調査を始めたことを後悔し始めてきました。まぁ、今更悔やんでも仕方ありません。話を進めましょう。

 まず、知恵袋に代表される人力検索サービスは2004年から検索結果に登場し始め、以後は毎年のようにハイヒール伝説に触れた質問が出され続け、そして検索結果の上位に居座り続けています。googleでのヒット数も、2004年までは増えているか減っているかよくわからないという具合でしたが、知恵袋系サイト登場の翌2005年から上昇を始めています。

 で、お次がインターネットモザイク壁画ことNAVERまとめ。2014年から検索結果に登場し、件数こそ他に比べて少ないものの、今では知恵袋をしのいで検索結果のトップに君臨しています。

 最後がみんな大好きまとめブログ群。登場時期は前後しますが、2013年頃から検索結果に頻繁に登場し始め、ヒット件数が一気に増加した2014年以降は、結構な割合をこのまとめサイトが占めていたりします。

 これらの三つはそれぞれ対象相手を異にしつつも、ハイヒール伝説の話題の拡散に一役買っていると言っていいでしょう。

net02


インターネットハイヒール論客のねぐら

 しかしながら、このデータにはtwitterなどのSNSや匿名掲示板群の情報はほぼ反映されていません。そこで、今度は匿名掲示板群でハイヒール伝説説が話題になったスレッドの数を調べてみました。その結果がこちら。

net06

 やはりあまり数が多くないことや、2010年以前にほとんど該当スレが無いことが意外ですが、検索に使ったサイトや調査方法の問題かもしれません。ただ、やはり傾向としては最近になるほどハイヒール伝説の話題が人口に膾炙している様が伺えます。

 ついでに、どういう人達が話題にしているかを把握するため、上記のデータを板ごとにプロットし直してみました。結果はこちら。

net07

 ‥えーと、何と申しますか、あー、全体的に素朴な味わいのある方々が集まるような板で話題になっていることが伺えます。世界史板の該当件数が3件しかないのは不自然ですので、やはりこの結果は歯抜けが多く、実際にはこのデータよりもなんぼか多くのスレが存在するかと思われますが。

 ともあれ、世界史のような専門的な板というよりは、一種の雑談的な板で集中してハイヒール伝説が頻繁に言及されていることは示唆的であります。つまり、特定の板の中で深く突っ込むこと無く繰り返し話題にされ、ついでにまとめサイトなどで取り上げられ、というサイクルを繰り返すことによってハイヒール伝説が徐々に定着していくという過程が見えてきます。


ハイヒール伝説の伝播まとめ

 幾らかの推測も混ざっていますが、ハイヒール起源に関する話題・情報の流れはこのような感じなっているものと思われます。

net08

 ただ、今回の調査の限りでは、ハイヒール伝説の普及には決定的な役割を果たした特定の一サイトや特定の一個人‥というものは存在しないようです。どちらかというと、掲示板群や人力検索サイトで何度となく話題にされ続けることで、じわじわと定着していったと表現して良いでしょう。

 そういう意味では、ハイヒール伝説を広めた真犯人はみんなの心のなかにこそあったのかもしれません。あんまり特定の誰かを糾弾しても角が立ちますしね。そんなわけで、お手元の石は、お好きな方に投げちゃって下さい。

余談

 そういえば、結局SNS上でのハイヒール伝説の広がりは調べられず終いでした。例えばtwitterで年ごとにどの程度話題になったか調査する方法とか無いもんでしょうかね。広告系の人とかはそういうノウハウをいっぱい持ってそうな気もしますが。

結論

 それでは、最後に、日本におけるハイヒールの起源説のおさらいをいたしましょう。

  • 大前提として、ハイヒールの起源に関する話は海の外においてもややこしい
  • 日本の書籍でハイヒールの起源が語られた頃から「道の糞対策」説は存在した
  • ただし当初のちゃんとした書籍では、起源が諸説あることに触れたりと、保留の態度も示されていた
  • しかしこれらの情報が俗な書物に孫引きされていくにつれ、糞尿説以外は無視されていき、また保留の態度も削ぎ落とされ、断定的な記述が増えていく
  • 2000年頃からこれらの情報がネット上にも散見されるようになる。この時点で記事のほとんどが「道の糞対策」説に限られている
  • 2005年頃から徐々に言及例も増え、特に2010年頃以降は、影響力のあるサイトの増加や伝播・拡散体制の確立によってハイヒール伝説が定着する

 こんな感じでしょうか。情報がいかに伝わるかという意味で、色々示唆的な結果になったような気もします。もう少し気合を入れて調べればより細かい情報も判明するかもしれませんが、今回の調査はここまでとしたいと思います。

 御清聴ありがとうございました。最初から最後まで糞みたいな話でした。


主な参考文献(細かいのは割愛)

  • http://aands.org/raisedheels/Pictorial/illustrations.html
  • http://hubpages.com/education/pattens
  • http://homes.chass.utoronto.ca/~ebernhar/essay.html
  • http://homepage3.nifty.com/onion/labo/excretion.html
  • http://reasonable.sakura.ne.jp/history/
  • http://www.articlesonhistory.com/high-heel-shoes.php
  • http://www.bbc.com/news/magazine-21151350
  • http://www.collectorsweekly.com/articles/sex-power-and-high-heels-an-interview-with-shoe-curator-elizabeth-semmelhack/
  • http://www.fashionencyclopedia.com/fashion_costume_culture/European-Culture-16th-Century/Chopines.html
  • http://www.heikes-heels.com/english/history-shoes/1.htm
  • http://www.randomhistory.com/1-50/036heels.html
  • https://en.wikipedia.org/wiki/Patten_(shoe)
  • https://en.wikipedia.org/wiki/Chopine
  • https://en.wikipedia.org/wiki/Heel_(shoe)
  • https://en.wikipedia.org/wiki/High-heeled_footwear
  • Shoes and Patterns (Medieval Finds from Excavations in London) / Francis Grew
  • Shoes: What Every Woman Should Knowà / Stephanie Pedersen
  • 十八世紀パリ生活誌―タブロー・ド・パリ〈上〉/ L. S. メルシエ
  • うんち大全 / デンャン・フェクサス
  • イタリア都市社会史入門 / 齊藤 寛海、藤内 哲也、山辺 規子
  • パリ風俗 / 鹿島茂
  • 中世パリの生活史/シモーヌ・ルー
  • 排泄する都市 パリ/アルフレッド・フランクラン

5 comments on “ハイヒールと中世と糞の話

  1. Pingback: 自分用資料:中世/パンツ | WTNB機関年代記

  2. となりのヤングジャンプから来ました。

    面白さのあまり、一気読みしてしまいました。
    ハイヒールについての言説を聞いたことはありましたが、検証することなど考えもしませんでした。今回このブログを読んで、目を開かれる思いです。

    これだけのことを調べる熱意と、精密な資料の扱いに感動しました。
    これからも時々勉強しに来ます。
    ありがとうございました。

    • コメントありがとうございます。
      中世というのは割と俗説や誤解がまかり通っている世界なのですが、その辺も含めて中世らしくて楽しいところという気もしています。
      資料の扱いというのは難しいので、私もドヤ顔で嘘を言っちゃったりしないよう、襟を正す姿勢で中世と向き合いたいものです。

  3. ハイヒール起源説は、子供向けの百科事典かなにかで90年代前半に見た覚えがあります。
    また、高校教員が、世界史の授業にハナを添えるために語っていました。
    トルコの風呂サンダルとチョピン、あまり似てないと思います。高底ということを除けば。
    むしろ、パッテンのほうが、履く部分の形状に前方への傾斜が見られること、
    ゲタ足部分とサンダル部分の一体感があることなど、形態的にチョピンと類似があるように感じられます。
    チョピン側面に見られがちなわずかなヘコミ加工も、
    パッテン底の、削り込みによって成形された、だるい形状の歯の名残を思わせます。
    なぜ、パッテンとチョピンの関連性ははっきり否定されるのでしょうか。
    やや疑問に感じました。

  4. Pingback: “気遣いのできるいい子”…抜け駆けで義理チョコを配る先輩社員/何故就活でヒールを履かなければならないのか…/クレカを持っていなくて、ときどき肩身が狭い/2017.03.02

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です